相談者の感想


(1) 

過労で倒れてはじめてわかった自分自身


私は幼いころから「自分がかかわると人がいやな思いをする」という思い込みが強く小学校の時分から友達付き合いも怖くてとても苦手でした。

また、そんな自分に対して父はがまんができなかったようで幾度となく叱咤激励を繰り返しありました。

自分がとてもみじめで弱いそんな思い込みが自分を支配していました。

もちろん中学、高校と進学はしましたが友達付き合いというのはとても苦手なことでした。

「どうせ自分は人には好かれない。受け入れてもらえない。」「自分が関わると人に迷惑をかける。」

そんな想いの思春期でした。父の経営する会社に入ってしばらくした時に本土の取引先へ勉強にという話が持ち上がりました。

父の言うことを絶対視していた私はそれに逆らうことなく本土行きをよぎなくされました。

その後何年かしてもう少しで沖縄に帰るというときでした。辞退が急展開し父が会社を閉めてしまったのです。

私はあせりました。ものすごいプレシャーとストレス受けたのと同時に自分がどうにかしないといけないと強い必要以上の責任を感じました。

部署換えもあり、なれない得意先とのやり取りや売り上げのノルマ、そしてなにより、びっくりしたのが未回収の集金が3年も4年も前のものがあることでした。

「焦げ付きは店を腐らせる。」私にとってそれは実家の家業を生々しく思い出させるものでした。

なんとか回収できるように得意先に働きかけ毎月の集金時に焦げ付き分もなんとか支払ってもらえるように夜遅くまで得意先を訪ねてお願いして回りました。

毎日、帰りは夜の1時2時と言った悲惨なものになりました。

夜間金庫もその当時はなく回収した現金を自宅で管理するといった生活が続きました。

当然、食事はコンビニの残り物の弁当を食べ、週末は現金のストレスとなれない人づきあいから逃げたくてアルコールを浴びるように飲みました。

そんな生活のなれのはては当然、自分自身を見失い強いストレスの塊になり身を持ちくずしました。

自分のことを見るに見かねた兄弟の一報で私は沖縄に帰ることになりました。

自宅での療養生活をしながらもストレスは消えてはくれませんでした。

それにまして自分自身、何をどうすればいいのかさえ解らない状態でした。

衰弱しきった体で自分ではお風呂にも入ることできず両親に看病されながら生活が続きました。

当時の私は疲れ果てストレスの塊であると同時にかなしみとさみしさと苦しみを抱えていました。

まず、最初にぶちあったのがどう人と関係するかということでした。