相談者の感想



4.なごやかライフとの出逢い

(1)
転勤の多い職種であったため、十数年を本土での生活で南から北へと転々としました。
それは僕にとってはむしろ幸いでした。 人との親しい関係を築くのが苦痛だからでした。
2,3年で人間関係を清算することが繰り返されました。
地元 沖縄への人事の打診も、故郷には背を向けていたので断りました。
それは、自分の本質を見つめることを,恐れていたからに外なりません。
しかし、大阪を最後に逃げてばかりではいられなくなりました。


(2)
職場の人間関係がきっかけでした。
初めてのことを担当することになり,減らない雑務と,ある自己主張の強い同僚との関係もあって,
非常にきついものでした。
「おまえはどういう人間なのか」ということを突きつけられたように感じていました。
仕事や自分に対する甘さもわかってきました。
なかばやけくそになっていました。
休日は,リラックスするように努めましたが、虚しさ感はなくなりません。
つらい現実に僕は、拠り所を職場の異性に求めていました。
慰めてほしい感情、いやもっと強いもの、救ってほしいと言う願望です。
それは恋愛ではなく依存でした。
これまでもぼくにとっての恋愛や友人関係は虚しさや苦しさを埋めてくれる対象でしかなかったからです。
このときの自分の感情は、自己主張の強い同僚が、転勤して去ってしまったのをきっかけに押さえがたい
ものになっていました。
そいつに僕は、コテンパンに口激されており、ぐうの音もでないほどでしたので緊張が切れたからかもしれません。
僕の依存の感情は、どうしようもなくなってきました。
職場の同僚女性に交際を申し込みました。断られました。
彼女が僕に対して特別の感情を持っていないことは、はじめから分かっていましたので当然のことでした。
彼女には悪かったが、僕には必要なことでした。
高まった感情を吹っ切りたかったからです。
それからは少しだが感情を出せるようになりましたが、つらい状況が変わるわけではありませんでした。
心理療法のクリニックを見つけ通いましたが、くすりのみで対応する手法に納得できず、すぐに行くのをやめました。
僕は、もう大阪での職場と自分の部屋との往復だけに思える生活にうんざりしていました。
気持ちはつらく虚しい状態で、このままでは死んだほうがましだと思うようになりました。
地元へ帰ろう、地元でダメなら死ねば良いと思いました。
これまで背中を向けていた沖縄への人事異動を上司に申し出ました。
これまで、優等生のように転勤してきたので僕の申し出は受け入れられ,この春から沖縄での生活が始まりました。
沖縄での久しぶりの生活は新鮮でした。
新しい職場にも慣れるように集中しました。  休日も楽しめました。
見合いやデートを楽しめるようになりました。
しかし、心のあり様は大きな改善はなく、自分や過去への怒りを抱えたままであり、
自分や他人との関係がうまく築けないでいました。
沖縄での生活が落ち着いたころ,この心苦しさは、ひとりでどうにかなるものではないと思い立ちました。
薬か療法か分からないがとにかく治療する場所をみつけようとタウンページから探しました。
各種心理療法というページの中にその宣伝内容に興味を持った「なごやかライフ」を見つけ、その日の内に予約をしました。