カウンセラーのブログ

2008年1月11日(金曜日)

新しい年の思いをどう達成するか

カテゴリー: - nagoyaka @ 00時00分55秒

2008年0111

明けましておめでとうございます
早いもので、正月も11日の鏡開きとなりました。遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。

さて、年の初めには多くの人が初詣に参ります。日本の正月の美しい伝統ですね。
なんのために行くのかと言えば、年の初めのけじめがつき気持ちが改まるからですね。
そうすれば、なんとなく良いことが起きそうだ、という期待が持てますよね。
そして願を掛けます。受験を前にしている人は“合格祈願”を、商売をしている人は
“商売繁盛”を、子どもを待ち焦がれている人は“子宝”の授かりを、お願いします。
“病気が治りますように”、“健康でありますように”、“恋人が見つかりますように”、
“良い運が巡ってきますように”とか、色々とそれぞれの思いをこめてお願いします。

これはとっても良いことです。願いをしない人と比べると、はるかに良い結果をもたらすでしょう。
なぜなら少なからず○○のことをかなえたいという思いがあるからです。

思いが有ると無いでは天地の差があります。思いが有ればこそ願いがかなうのです。
「どうせ願いなんか叶うはずがないさ」というのでは、始めから叶うことはありません。

 ところで、思いはとっても大切ですが思いがあれば必ず叶うかというと、
残念ながらそうはなりません。
思いが思いのままでは、どこまでも単なる思いでしかありません。
それを実現しようとする意識と選択と実践習慣がなければ思いは叶うことはありません。

同じく、思い願いを教会やお寺やお宮などに、或いは家の火の神やトートーメー等の神様や仏様におねがいしても、神様や仏様が願いを聞き届けて叶えてくれることはありません。
なぜなら神様や仏様の実質は、願いを聞き届けて叶えてくれる存在ではなく、
願いを誓う対象であり、意識の対象であり、生かされていることを感謝する対象なのです。
なのに、宗教者は「絶対にかなう」等とまことしやかに言いますが、
それは実際には根拠のない信念であり思い込みなのです。
宗教者は根拠のない信念や思い込みに満たされているので、「絶対にかなう」等と主張するでしょうが、それ程自信があるなら、その言葉に責任をとれますかと迫ると、100%責任がとれると言える人はおりません。
神や仏をご利益の道具にするのは神や仏を冒涜するもので、そういう宗教は真の宗教とも言えないし、そういう宗教者は真なる信仰者とは言えません。神や仏はうやうやしく向き合うべきもので、
おごそかなこころの拠り所なのです。そうすれば、神や仏は素直にあなたの心に住み着いてくれます。

物事の成就はどのようにして達成されるのか?これについては明日お伝えします。
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