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くすりを用いない心理療法・催眠療法 - 元気になるカウンセリング

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50代 女性

2022.02.24

≪うつを経験して≫
私は20代の始めにうつ病を患い、40代までに3回の入院を経験しました。1回目の入院は20代の始め。2回目は結婚前、3回目は40代。40代の時のうつがいちばん酷く、長い期間たくさんの処方薬を漫然と服薬し、1日最大で25錠もの向精神薬を服薬していたようです。「服薬していたようです」と書いたのはその頃の記憶が霞がかかったように不鮮明で思い出そうにも思い出せない部分もあるからです。
40代の頃のうつは本当に酷く、休職を繰り返してはひきこもり、昼夜逆転の生活で自分の生活さえままならず、子ども達の世話もできない状態が続いていました。そのような生活で体調を崩した夫が成道先生のカウンセリングを受け、夫からの紹介で「なごやかライフ」を紹介されて、半信半疑で先生の個人カウンセリングを受け「TPGP」にも参加しましたが、良くなったりまた悪くなったりの繰り返しで、少しでも状態が良くなると、なごやかライフに通うことも面倒臭くなり、通わなくなってから更に体調が悪化しました。
向精神薬を服薬しながらアルコールに依存し、他者との関係に依存し、自分のことしか見えない、自分のことしか考えられない、自分の事態を客観的に見る事ができない荒れに荒れた生活となりました。当然家事や子ども達の世話もできない状態で、自殺念慮が強く家族も手に負えなくなり医療保護入院となりました。退院後もその生活は変わらず、生活は崩壊し廃人に近い状態になっていたと思います。
完全に崩壊してしまった私を抱えて、途方に暮れた夫が連れてきてくれたのは成道先生のカウンセリングでした。先生は以前よりも悪くなってしまった私を否定することもなく、慈愛に満ちたまなざしでひとこと「心配していたよ」と声をかけてくださいました。カウンセリングの内容はあまり覚えていませんが、先生から断薬ができる県外の病院を紹介され、その場で入院の予約をしました。
県外の病院で家族から離れ独りとなった私は、自分自身に深く向き合うことで完全に断薬することができました。自分に深く向き合う日々は断薬よりも辛いものでした。離脱症状からの幻覚に腹を括り、それでもなお薬を欲しがろうとする脳の欲求との闘いの生活で、私の回復を信じて待っていてくれる家族と夫の愛に支えられて断薬に成功し退院することができました。この入院生活で自分自身に向き合う力を持てたのは、家族の愛となごやかライフでの学びがあったからこそです。沖縄に戻って来てからはアフターケアを兼ねて個人カウンセリングや「TPGP」の参加の後に復職し、おかげさまでこれまでにうつを繰り返すことなく生活しています。
今度は私自身の人間的な成長を目指して「木曜会」や「エンカウンター」で学びを続けて行きます。毎日の生活の中でくせの強い私の心ぐせと脳ぐせに時々つまずくこともありますが、毎週顔を合わせる「木曜会」の仲間の力が励みになり、感謝しています。

私のうつは自分の生い立ちから過去の赦せない出来事や人に対して、負のエネルギーだけで生きてきた悲劇のヒロインだと思い込み、うつという病気を選択していたのだとわかりました。
なごやかライフで繰り返し繰り返し学ぶうち、「過去を赦す」「過去を手放す」「過去の自分を赦す」ことで、私の悲劇のヒロインの幕は閉じ、今は過去にとらわれない自由なありのままな私というステージを楽しんでいます。
これまで忌まわしいと思っていた過去の記憶を封印してきましたが、なごやかライフで学ぶうち、過去の出来事も私が人間として成長するために必要な出来事だったのだと、今生限りの人生を豊かにユニークに過ごせるのも過去の出来事があったからこそと、過去の記憶を辿ることも愛おしく感じています。

子ども達のそれぞれの事態に、家族の事態にただただ向きo

悩み苦しむ子どもの姿に早く元気になって欲しいと思い「~したら」とアドバイスしたり、時には私自身が焦ってしまったりイライラした気持ちになり「~しなさい」と命令口調になってしまった。どうしたらよ
不安に捉われ、心配をするあまり過干渉になり、早く元気になって欲しいと思うあまり過干渉になり、自分自身がこの事態の苦しみから一刻も早く逃れたいという願望だと気づきエゴの塊の自分に気づきゾッとした。
それからはらせんを描くように良くも悪くもなりながらだけど、事態好転となるように
どうしたらいいか意識するようになると、まず自分が落ち着いた。
自分から頻繁に電話をしなくても、「大丈夫」とそれぞれの子ども達を信じてぐっと我慢する。子どもから連絡があるまで待てるようになった。
「きっと大丈夫」と強く信じる。「必ず良くなる、能くなる、善くなる」
子どもが今辛い思いをしていても自分自身は幸せであっていいのだと気づいた。
相手の悲しみ苦しみに囚われない、
なぜなら私と子ども達の人生はそれぞれに違う。どんな悲しみも喜びも共感はできるけど、私は彼(子ども)ではない。
私が人生で感じていること、彼ら(子ども達)が感じていることではない。
私と子ども達は心を持った別々の人間なのだから、囚われることはない。私は私で、彼らは彼らで幸せになっていいんだ。
そう思うと子ども達と愛を持った距離で接し、俯瞰して事態を見ているもうひとりの自分を感じた。
私自身が子どもの辛さや苦しさから離れると、事態が好転し変わったような気がする。
彼ら自身が、場面ごとに事態好転を選択して来た。
彼らはしなやかに生きる力のある素敵な人間だと思う。
私はこれまで親としての務めをとしてアドバイスをしてきたつもりが、いつしか過干渉となり命令となり、子ども自身が考える力や機会を奪っていたのではないかと反省している。
この事態が私を大きく成長させてくれたと思う。
どんなにアドバイスしようが、どんなに説得しようが答えは相手が持っている。
答えを引き出す、答えを整理する聞き方を心がけよう。
答えを出すことがカウンセリングではない。
持っている答えに到達するまでのモヤモヤとした気持ちをスッキリと、自分の課題を話すことでその課題が「離れていく」。課題に気づくことがカウンセリングなのかな。

子ども達に「期待はしない」「離れていても愛を持って幸せ思う」
子ども達の事態にあれこれとアドバイスしているつもりが、やがて価値観の押し付けになりエゴになっていたのかもしれない。
自分と子どもの人生は違うことに気づき、生きている時代も、生活している場所も違うことを認識すると、強く子ども達の事態好転を信じることができると、自分の不安や心配も小さくなりました。
どんな事態でも私は私で幸せに、家族もそれぞれ離れた場所で生活しているけど、向いている方向は同じ「幸せ」の方向を向いている。
私の人生のライフステージで子離れの段階。大事なパートナーである夫を大切に愛する生活を送ろう心がけよう。
心が満たされて幸せです。